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みんながしあわせに

津島の街で、40年以上続いた早朝の寒中托鉢行。皆さんから支えられてきました。私の思いは、何だったのかお伝えします

寒中托鉢行は、今年まで

40年以上続けてきた寒中托鉢行は、今年で終えます。2月3日の節分まで、カウントダウンできるところまで来ました。
私の寒中托鉢行のやり方は、永観堂禅林寺の法主にもなられた森凖玄師から習ったものです。今から40年以上前に、森師のお寺である岐阜県羽島市竹鼻町の光照寺様に泊めていただいて、森師から直々に習いました。その翌年から、津島の街を回るようにしました。それから41年が経過したことになります。
おかげさまで、津島の冬の風物詩として認められるくらいに、親しまれるようになりました。特に、津島市を紹介するポスターにも、私の托鉢行の姿が採用されたことが、楽しい思い出です。

森師から習ったのは、一軒一軒ずつ玄関先で偈文をお唱えする(門付けといいます)方法です。お唱えする偈文は、数種類あります。お布施をいただいたときの偈文には決まりがありますけれど、最初に唱える偈文は、自分で選択できます。

お唱えする偈文

その中でも、多用する偈文は「天下和順 日月清明 風雨以時 災厲不起 國豊民安 兵戈無用 崇徳興仁 務修禮讓」(岩波文庫『浄土三部経』上、227ページ)です。これは浄土三部経の一つである無量寿経の中にあります。
この意味は、次のようです。

国中の人々は、やわらぎあっていて、太陽も月も清らかに輝いて天体上の災難がなく、雨が降り風が吹くのは時期がよく、天災や疫病も起こらない。
国は豊かに、人々の暮らしは安らかとなり、武器を使わず戦争も起こらない。人々は徳を高め、いたわりあいながら、つとめて礼儀正しく謙譲する。

理想的な環境ですが

この言葉は、浄土系だけではなく真言宗でも用いられたり、神道でも使われるほど、いわば人気のある偈文です。天災が起こらず、戦争も起こらず、人々の徳も高いという理想的な環境を表現しているからです。
どうしたら、このような素敵な環境になるのかというと、それは仏さまが教えを広められたときに、実現するとお経には書いてあります。確かに、こういう世界になったら苦悩は少なくなるでしょうし、安心して日暮らしができそうです。天災がない、つまり大地震が起こらなくて、スーパー台風が襲来しない、
豪雨もなく、火山の噴火もないということだけでも、安心できます。


この偈文の前には、この仏さまが教えを広める前の人々の様子が書かれています。人々は、心身ともに疲労をしていて、心が安まることがないと。
天災などの人としては、防ぎようのないこともありますが、人というのは、自分から右往左往してしまうものです。


わかっちゃいるけど

植木等さんが歌った「スーダラ節」に、こんな一節があります。「わかっちゃいるけど、やめられない」。この歌詞を聴くたびに、これは煩悩の働きを教えてくれていると感じます。わかっちゃいるけど、むさぼってしまう。わかっちゃいるけど、怒ってしまう、わかっちゃいるけど、愚かなことに手を染めてしまう、それによって、自身の生活が乱れ荒廃してしまったり、人徳を失ってしまいます。そして、対立をエスカレートさせてしまって戦争を起こすこともあります。

この「天下和順・・・」の一文は、一言で表現すれば、みんながしあわせでありますようにという願いだと思っています。
明日の朝も、この偈文を唱えて市内を回ります。